元GAFA、気ままなゲイのモントリオール留学

カナダ高校留学 〜帰国後の地獄な日々。父によるモラハラの始まり〜

こんにちは。

カナダとアメリカの国境はクローズが延長されており、9月21日まで保留となっています。また延長される可能性があります。

(モントリオール留学については後日書いてゆきます。)

 

前回、カナダ高校留学を終え、帰国する際の空港でのトラブル。空港に5泊したことを記事にしました。

 

lgbtlifecanada.hatenablog.com

 

U-NET

 

今日は、私が日本に帰国してからの日々を書いてゆきます。

 

この記事から、留学の話というより、父から受けてきた言葉、精神的な暴力について書いてゆきます。

 

ここに書くことはダークというか、読んでいい思いをされない方が多いと思います。

でも、私の心の整理のために書きます。

長年心に溜めていた物をここでアウトプットして少しでも当時のトラウマをリリースできたらいいなと思っています。

 

また、私が当時悩んでいたことを話すことで、今それで悩んでいる方に少しでも1人ではないよということを伝えたいと思っています。

 

 

  • 私が育った環境
  • 小さい時から気付いていた父親への違和感
  • 酒を飲み祖父母に向かい叫び散らす父親
  • 本格化した父親による母へのモラハラ
  • 人のせいにすることで自分に納得する父親
  • 永延と聞かされる、母親の悪口、過去の栄光
  • どうしてもわかって欲しい自分の過去の栄光
  • 出ていけと言われた母親
  • 恐怖の食卓
  • 母親を庇うと拗ねる父
  • 場所を選ばずどこでも叫ぶ父
  • 私のトラウマ
  • 今思うこと

 

私が育った環境

まず、

- 私は父から叫ばれて育ちました。

- 私が思っている思想、する行動、述べる意見、趣味についてほぼ否定されて育ちました。

- 求めていない意見を述べられ、それに従わないといけないようにコントロールされて育ちました。

- 母、兄弟、両祖父祖母に叫んでいるところを見ながら育ちました。

- 特に母を精神的に追い詰め、とことんサンドバックにしているところを見て育ちました。

- 過去に起きてうまくいかなかったこと、悔やんでいることを今更掘り起こし、母親のせいにして散々叫び、精神的に追い詰めるところを見ながら育ちました。

- 同じ過去の栄光の話を何回何回もことあるごとに話されて育ちました。

- 彼が求めていることを言わないと・彼の意見に同意しないと癇癪を起こされる環境で育ちました。

- 一つに切れると、これまでのことを思い出してそれらについてもキレだし、人格否定をされて育ちました。

- 彼を不機嫌にさせてしまったらその矛先が母親に向かう環境で育ちました。

- 萎縮しながら育ちました。

- 食事をしてる最中、父親がお酒を飲みながら私や家族に叫ぶ切れるという環境で育ちました。

- 何にでも口を挟み、その意見に沿わないとキレられる環境で育ちました。

 

よって私は父の機嫌を損なわないように生きてきました。

父親がいる環境が地獄でした。

家族団欒という物は私は知りません。

いつキレて叫び出すのか、冷や冷やしながら共に生きてきました。

自分の意見は極力言わず。

叫び散らされ責められても、反論しないで生きてきました。

 

波風立たないように振る舞い

機嫌を損ねないような立ち回り

彼が喜ぶであろうことや当たり障りのないことを言ってきました

 

それでもどこかに地雷があり、それを踏んでしまった時、自分を責めまくって生きてきました。

地雷を踏んだことで自分を責めるのではなく、地雷を踏み父親から叫び否定された内容を自分で肯定し、ああ、そうなんだ自分てダメなんだなと思って生きてきました。

 

 

 

小さい時から気付いていた父親への違和感

私は父親が他の父親と大きく違うことについて早いうちから気がついていましたが、彼の意見にいやいやでも従って生きてきてしまっていました。

 

父親に従わなかったときのことが怖い。それによって家族に矛先が向くことが怖い。

そして従わせたときの父の勝ち誇った態度。

 

この環境から離れないといけないと本気で気がついたのは私が30歳を過ぎた時でした。

なぜ今まで、離れられなかったのか。

ある意味洗脳されていたのかもしれない。

 

でも一つだけ言えること。

 

私が彼にとって荒波を立てたことで、怒りの矛先がまた家族の誰かに向かう。

もしくは、私が彼から離れている間、私は母親を守れなくなる。

だから離れたくても離れられなかった。

どんなことをされても親は親。離れるのは親に対して失礼、不条理だと思っていた。

これは非常に大きなポイントだった。

 

酒を飲み祖父母に向かい叫び散らす父親

私がカナダから帰国したとき、伯父、伯母が家に来てくれた。

そして皆で食事をしている最中、父親が祖父祖母に対し、癇癪をおこし叫び出しました。

せっかく皆で集まって食事をしているのに。

 

でもこれは我が家では平常運転なのだ。

本来なら異常な光景も私は、ああ懐かしい光景だなくらいにその時は思っていました。

 

彼が叫ぶ内容はいつも同じ。

- あの時こんなことをしてやった

- 祖父祖母のせいでこうなった

 

その時はそのような光景が異常とは思っていたが、その光景を正面から受け止めず受け流すことができていた。

 

帰国後、私は日本の大学に入るべく、いろいろな大学を回った。

そして入りたいと思う大学の学部を見つけ、それに対しての受験準備が始まった。

当時、実家の家計はボロボロで帰国を余儀なくされたくらいなので、受験の準備をするために予備校なんて通えない。

 

参照

カナダ高校留学 〜2年目〜 - lgbtlifecanada’s blog

 

そして実家には私の部屋なんてなく、兄弟の部屋で過ごしていた。

PCもなかったため、一般受験ではない方法での受験を目指した。

 

 

本格化した父親による母へのモラハラ

この辺りから、父親の怒りの矛先が全て母親に向く。

何に対しての怒りか?

 

それは

・彼の事業がうまくいっていなく、お金がないこと

・それは過去に起きたことが原因

・その原因は全て母親

・あの時、母親がこういうことをしていれば今頃うまくいっていた成功していた

・悔しい。許せない。悔みきれない。

 

という彼の頭の中。

 

こうなると母親がすること全てが気に入らない。

 

叫び散らす。酒を飲む。態度で精神的に追い詰める。

 

彼が思う母親のせいだと思っていることを全て母親にぶつける。

 

全て母親のせいになる。

 

ある日、彼のスーツに虫食いが発覚した。

 

母親が責められた。叫ばれた。

 

”お前がケアしておくべきだった。”

”女の仕事だ。”

”男に恥をかかせるな。”

 

母親は家計のためにパートに出ている。

父親はずっと家にいる。

 

自分がすればいいことを母親のせいにする。

 

私は思います。

人のせいにするのって楽ですよね。

その人のせいにすれば自分は悪くないんだから。

それで悔しさを少しでも解消できるんだから。

 

人のせいにすることで自分に納得する父親

そんなこんなで、このような

今うまくいっていないことを過去の母親の行いのせいにし、

”あの時お前がこうしていれば” と、

四六時中罵声を浴びせる言うようになった。

 

そして彼はずっと不貞腐れ、キレ、叫ぶと言う行動を繰り返し母親を精神的に追い詰めた。

 

そして現在の行動全てに文句を言い否定する。

家事、買い物の内容、発言。

 

ある日、父親が酒の大きな空パックに違う酒を移し入れるように母に頼んだ。

そしてその移し入れた量が気に入らなかったのか、叫び出した。

 

”貧乏人!”

 

自分は座り、座っている母親を立たせて依頼し、その依頼を聞いた母親に対して叫び散らす。

 

私は、心の中で、思っていた。

 

じゃあ自分でやれば良いのに

 

でもそんなこと言えるはずがなかった。

火に油を注ぐことになる。

 

精神的に参る日々と同時に芽生えた私の使命感。

そして父親の母親に対しての八つ当たり、人のせいに拍車がかかり、彼の怒りは収まらない。

 

家にいるとよく叫び声が聞こえた。

態度で精神的に追い詰める場面に直面することが多かった。

空気が張り詰めている食事の時間。

 

私はその時だんだんと精神的に落ち込んでいた。

 

この時の私の心。

 

俺がなんとかしないと。

 

という使命感があった。

 

私はその時期、アルバイトをしていた。

アルバイトから帰るのが怖かった。

家に帰ると家で起きていることが怖く、どこにいても心を休める場所がなくなっていた。

 

永延と聞かされる、母親の悪口、過去の栄光

ある日、私は父親に誘われ、近所にある大きな墓地へ車で向かった。

車内ではもちろん母親の愚痴、また母親の家族の悪口を散々話された。

また、自分の過去の栄光を話され、こんなことをしてきたんだぞ俺は。

とペラペラずっと喋っている内容を聞かされた。

 

墓地につき、ベンチに座り、さらに愚痴や文句を言われた。

そして母親の育ちが悪いと言うことを永延と話された。

 

父親が言う育ちの悪さとは

学歴、育った場所

である。

 

母親は団地で育った。

 

父親は

 

団地育ち=育ちが悪い

 

と言う貧しい思考をしている。

 

そしてそんな家に住んでいた母親の家族は、母に十分な教育をしてこなかった。

だから自分のことをきちんと支えられなく、自身のビジネスがうまくいかなかった。

 

と言う解釈なのだ。

 

母親、そして母親の家族を全力で否定することを散々私に言ってきた。

 

”嫌だろうけど俺の愚痴を聞いてくれよ。”

 

と言われた。

 

そこの近くにいた老人のこちらを見る哀れな目が忘れられない。

 

私は思う。

育ちが悪いと言うのは学歴でも生まれ育った場所でもない。

 

育ちが悪いと言うのは

これを言ったら人を傷つけると言うことを知らないこと

何かを人のせいにすること

これらを行うことで周りが傷つくことを知らないこと

だと私は思う。

 

 

どうしてもわかって欲しい自分の過去の栄光

家の雰囲気は最悪で兄も父親が今行っていることに不満を持っていた。

でも父親は、自分が過去の栄光、そして母親のせいで今こうなっていることをどうしても私たち兄弟に知って欲しい、そして理解して欲しい。

 

過去の栄光とは、父親のビジネスがうまくいっていた時、私たちは確かに豊かな生活を送れていた。

そのことを私たちに知って欲しかったのだ。

知ったところでどうなるのか、いまだに私には理解ができないのだが、

 

要は、過去に彼が成功して豊かな生活が家族で送れていたことを思い出し、その時のことを詳しく私たちが知れば、今の貧困の状況を理解し、

 

あの時は凄かったね、私たちが知らない中でそんな葛藤があったんだね、すごいね、今のこの状況は悔しいよね、あの時母親がこうしていればね。

 

と思って欲しかったのだろう。

 

今はこうだけど過去は凄かった。だから家族は良い生活ができていた。

今のこの状況は自分のせいではない、と思って欲しかったのだろう。

そうすることで父親の承認欲求を満たせると思っていたのだろう。

 

ある日、兄に用事があったため、母親が兄を車で送ることになった。

その際、私も用事があったため一緒の車に乗った。

父親は母親に言った。

”俺が今まで何をしてきたかちゃんと子供たちに説明しておけよ。”

父親は私たちにも言った。

”俺が今まで何をしてきたかちゃんと母親に聞いておけよ。”

 

そして帰宅した後、父親から、母親が送迎中に私たちに、父親がこれまでしてきた栄光を説明したか聞いてきた。

 

でも母親は送迎してくれている時、明るい話をしてくれていた。

 

父親にはしてないなんて言えるはずがなく、

私は嘘をついた。

こんなことを説明してくれたよ、と伝えた。

そうすると、”それで?それだけか?”と言われ、それでは足りないと再度母親を叫び責め、態度で母親を追い詰めた。

 

 

出ていけと言われた母親

ある日、父親は母親に家にある結婚道具で持ってきたタンス、母親の荷物、全てまとめて出ていくように伝えた。

 

母親は引越し業者にそれらを持っていくように頼み、実際に引越し屋が運んだ。

 

その後、何が原因かはわからないが父親の機嫌が少し治り、

”出ていけっていうのは、あれはタンスが大きくて寝室を圧迫してたから実家に戻してと言う意味だった”

と意味がわからない弁解をし出した。

 

そう、彼は何かあると、

”そんなつもりじゃなかった”

と言う。

犯罪者と同じである。

”○すつもりではなかった”と言う人と同じである。

 

よく、”理解してくれよ”と、”わかってくれよ”と彼はいう。

 

でも私にはわからない。

 

どんなことがあっても、それを今現在の話に持ち出し、精神的な病になったり、そのことについて叫び散らし、人のせいにしたり、人格を否定したり、人の人生を支配して良いなんてことは許されないのだから。

こんなことがあった、だから上記のことをして良いなんてことは絶対にない。

 

恐怖の食卓

私は食事の場面が特に怖かった。

 

酒を飲んでおり、癇癪はいつも以上に起こる。

そして、よく私も父親から追い詰められた。

例えばある日、経済のことを語られ、質問された時に答えられない時があった。

そうすると、

”なんで○○(正解)と答えられないんだよ。”

”なんでそのくらいのことわからないの?”

と癇癪を起こされた。

 

私はこれらのことから、父親が含んでいる食事は本当にストレスがたまる。

父親がいない家族との食事もなぜか気が向かない。

多分トラウマになっているのだと思う。

 

母親を庇うと拗ねる父

私はこの頃、どうにか父と母の仲が修復して欲しいと思っていた。

そのため、一度父に対して母のことを庇い、仲直りできないか必死の思いで伝えた。

 

そうすると父から、

”ずいぶん母親の見方をするじゃないか。良いなあ俺も見方されてえな”

と言われた。

 

その時私は、やってしまったと自分を責めた。

また母親が責められる機会を作ってしまったと。

 

このような父親が母親に行うモラハラは私が大学に入り数年経つまで行われた。

その間にも、何かるとすぐ癇癪をおこし叫び散らす、責める、人格を否定すると言う行動は続いた。

 

場所を選ばずどこでも叫ぶ父

今もたまに発生する。

実際に私がモントリオールに来る直前、私がモントリオールに行くと言ったら外食先で散々叫び散らされた。

 

と言うように今現在でもそれがたまに行われていること。

 

 

私のトラウマ

これらのことは私にトラウマを産んだ。

 

- 大きな音がやたら怖い。

- 人が少しでも争いだすと、とてつもなく怖くなる。ソワソワする。

- 誰かが怒っていると、それは私のせいなのではないかと思う。

- 父親と同年代の人とい一緒にいると恐怖を感じる。胸騒ぎする。

- 父親と目を合わすことができない。

- 夢で父親に叫ばれる。殴られる。

- 自分の意見を言うのが怖い。

(間違っているのではないか、父親のように人格否定されるのではないかと思ってしまう)

- 急に当時のことを思い出し、精神的に落ち込む。

- 自分を責める。自分を肯定できない。

 

今思うこと

私は今になってよく思う。

父親が行ってきた行為は犯罪であり、なぜあの時、家族は我慢したのだろう。

なぜ母親は離婚しなかったんだろう。なぜ今もわざわざ一緒にいるのだろう。

 

でも母親が父親と一緒にいるかいないかは夫婦の問題なので私は口を出さない。

 

一つ、なぜ離婚しないのか、それは私のある日の一言が少し影響しているのではないのか、、、と思っている。

 

それは兄がスクーターを購入した時、父親はいつも以上に激昂した。

父親はバイク乗ることを反対している人であった。

でも父親は兄に20歳を過ぎたら乗って良いと言っていた。

 

だから兄は20歳を超えた時、これまで貯めていたお金でバイクを買った。

父親は怒り狂い、

”何が20歳を過ぎたら買って良いだ、誰がここまで育てたと思ってるんだ、何かあったらこれまで私立に通わせていたお前に使った金がどうなるんだ。どんな身分でそんなこと言ってるんだ。”

 

と言った。

 

そしてお決まりのように怒りの矛先は母親に向かった。

そしてこのように兄が育ったのは母親のせいとして、

 

これまた母親のせいになった。

そもそもバイクを買ったのは兄。

買えるように育てたという恩義せに繋がるのも意味が不明。

自分が言った発言に責任を持っていないで叫び散らす。

全くロジックが通っていない。

今、お金を稼げるようになっているのは父親のおかげだと言わんばかりの内容。

 

そして父親は離婚すると言い出した。

 

私は父がいない時に母に聞いた。

 

”離婚しても良いの?俺はそれだと困るよ。”

 

と。

 

そうると母親は、

”そうだよね。ごめんね。”と言った。

 

母親が謝る必要なんてなく。

でもその母に伝えたことが、彼女がいまだに離婚を選ばない理由の一つになっているのかなと思う時がある。

 

結局その脅しで兄はバイクのキャンセル料を支払いバイクを買うことを諦めた。

そのあとの父親の機嫌の治りようと言ったら。

”後で買わなかったことを感謝するだろう”

”バイクがなく一緒にツーリングできないから友情が続かなくなったらそんなの友達じゃないから”

 

とのこと。

 

私は今、母親が離婚したいと言ったら、大賛成する。

本当に一緒にいない方が良いと心の底から思う。

これまで散々支配されてきた私たちと母の人生。

もう彼の罠に引っかかりなが生きるなんてしないべきだと思う。

 

しばらく父から受けてきたことの投稿が続きます。

 

それが終わったらモントリオール留学について書いてゆきます。