カナダ高校留学 〜日本出発から到着、学校が始まるまでの日々の過ごし方〜
こんにちは。あっという間に8月ですね。
前回のブログでは予定していた留学の予定が大幅に変わった旨をお話し致しました。
今回はそん中で父親から出されたカナダ高校留学をするための条件。
父親が選んだ高校、彼も私も下見をしたことがなく、どこかもよく分からないカナダの高校へ到着し学校が始まるまで何をしていたかの話をしたいと思います。
私が高校留学をした現地の高校がある町は、バンクーバー から定員約10名のプロペラ機に乗って約1時間した場所にある。
日本を出発する前日くらいに、父親が私を叱責した。
そしてそれを
”これがお前への餞の言葉だ”
と言ってきたのを覚えている。
なぜかというと、高いお金をかけてカナダへ行くことで家族に迷惑がかかるからである。
いよいよ出発の日、中学時代の部活のチームメイトが一緒に空港まで来てくれた。
両親も私を見送るために車を出してくれた。
人生で初めて母親が泣いてる姿を見た。
寂しい気持ち、やっとカナダに行けるということ。
”やっと行けるね、よかったね、おめでとう”と言って握手をしてきてくれた。
今でもその言葉を覚えている。
母親は私がカナダに行きたいということ、そして父親に反対され始め予定していた留学が叶わなくなったこと、そしてそこから叱責される日々をずっと見ていたし、そして母親も一緒にとばっちりを受けていた。
飛行機に乗り、母親からの手紙を見て、私はひたすら泣いた。
いよいよバンクーバーに到着。
少しだけ話が遠回りするが、
バンクーバー国際空港に到着したとき、”本当だったら去年の今頃ここに到着していた。そしてこれから乗り継いで違うところへ行くのか。。。”
という悲しい気持ち、でもまたここに来られたという嬉しさ、でもここで暮らしている同年代の人々のことを考えると襲ってくる劣等感。
いろいろな感情があったことを覚えている。
そして、バンクーバー国際空港から乗り継ぎ便に乗った時、
驚いたことが2つ。
1つ目は、私が座った席が緊急脱出用の扉に面している席であった為、
スチュワーデスが私に、”何かあった時君がその扉を開けて脱出るのだ”と言われレクチャーを受けた。
これ俺がやるの?まじかよ!と思った記憶が。
2つ目。
離陸前、座ったプロペラ機の席から外を見ていると、何と職員たちがプロペラを手動で回し始めたではないか!
いやいやいや待ってくれよ自動ちゃうんかい!と心の中で墜落する覚悟をしました。
そしておまけにもう一つ覚えてること。
乗っていたエアカナダのスチュワーデスは男性だったが、そのスッチーがマジでイケメンだった。
男性のスッチーってゲイの確率多いからもしかしたらゲイだったのかな?(そうであってほしいワラ)
そして離陸し、すぐ着陸態勢へ。
飛行機の窓からこれから到着する町が見えた時の正直な感想。
ちっさ。
森を少し改造してそこに町をポツンと作ったような見た目であった。
ここで本当にやっていけるのだろうか、何をして過ごせばいいのか?
という不安が一気に出できたことを覚えている。
空港に到着してすぐ、ホームステイでお世話になるホームステイマザーが待っててくれて声をかけてくれた。
私がホームステイすることになっていた家は、彼女だけがホストであとは私と同じ留学生のスイス人がホストブラザーとして過ごすことになっていたのだ。
空港から車に乗り家へ向かう道中、本当にここは私がこれまで住んでいた同じ地球なのか?と思うほどの田舎町であった。
ディスってるわけではない。私にとって新鮮だった。こんなところがあったんだと。
どこまでも見える遠い景色、穏やかな雰囲気。
そして気づいたことがある。
空港から少し近い場所に微かなダウンタウン(あれはダウンタウンと呼べるのか?と思うほどの規模)があったが、そこを抜けると。。。
信号がない。笑
一つも。
家に到着。
可愛らしい一軒家。
犬2匹、猫3匹、鳥数匹がお出迎え。
動物好きの私には嬉しい歓迎だった。
その時、ホームステイブラザーのスイス人は近所の台湾人の友達と遊んでいるということだった。
そして家の中の紹介や家でのルールの説明を受けているうちに、スイス人と友人の台湾人が家に戻ってきた。
そこで初めて会話を交わし、そのまま私も一緒に遊びに出かけることに。
そこで何をしたのかは覚えていない。
しかし、みんな快く受け入れてくれたのを覚えている。
実際に学校が始まるまで、よく彼らと遊んでいた。
カラーボール(サバゲーの一種。銃弾にインクが入っていてヒットしたことがすぐわかる)をしたり、例のダウンタウンへ行って遊んだり、台湾人の家で遊んだりと。
毎年カナダの高校ではサマースクールが開講されている。
留学していて夏休みを利用して一時帰国しない留学生、翌年度の本格的な留学を視野に入れている学生たち、その年に留学し学校が始まる9月まで英語や現地に慣れるために参加する人たち
と様々な人が参加しているイベントだが私は参加していなかった。
だから学校が始まって友達ができるか不安であったが、ホストブラザーや台湾人の友達と出会えて本当に良かった。
次回のブログでは、いよいよ始まったスクールライフについて書こうと思います。
(今私がいるモントリオールに関する記事は今しばらくお待ちください。)
P.S.
当時、私はPCを現地へ持っていなかったので、ホストブラザーのスイス人の部屋に行きよくPCを借りていた。
私はしばしば例の当時バンクーバーでお世話になったエージェントとそこで話していた。
そのエージェントも場所は違えど、来ることができて本当によかったねと言ってくれた。
彼女は私がカナダ、特にバンクーバー が本当に好きなことをよく理解してくれていた。
彼女も高校生の時からバンクーバーに留学しそのままUBC(カナダ5大ユニバーシティ)に通い卒業後現地で就職した。
彼女との出会いは私にとってとても大きかった。
なぜなら彼女と出会う前に私が頭で描いていたことをそっくりそのままやっている方だったから。
そして私のバンクーバーへの思いをよく理解し、バンクーバーのあの独特な雰囲気を好きなことについて共通した意見を持っていた。
いつでも応援してくれていた。
彼女は今日本に住んでおり、今でもやりとりをしており、たまに飲みに行く。
実はカナダ留学の2年目(高校3年生)の夏に日本へ一時帰国し、カナダへ戻ってくるときにトランジットまで時間があったためバンクーバーに立ち寄ったときに再会したのだ!
懐かしのバンクーバー!そして彼女との再会!
楽しかった。
私がバンクーバーを下見した時は冬であったが、その際は秋へ変わる頃の夏だった。
やはり良い景色だった。
ガラス張りの建物群。街の雰囲気。空気の香り・感触。
私があの冬にあの街で感じた感覚がみるみる心と体に戻り、本当にここが好きなんだなとまた思ったきっかけでもあった。
アジア人だらけと言われている街であるが、私は全く気にしない。
何より好きだから。そしてアジア人が多いのはその分住みやすいからであると思っている。
私はたまに高校留学についてお子さんを持つ親御さんや、実際に留学をしたいと思っている方々に相談される機会がある。
個人的に思っていることだが、
留学する上で大事なポイントの上にくる項目。
それは
その土地をどれだけ好きになれるか/好きであるか。
と私は思っている。
その場所で生活する姿を想像し、ワクワクし、そこでの生活を頭でポジティブにイメージすることができるかというのは特に高校留学では重要な項目であると思っている。
それがイメージできればもう行くことに越したことはない。
イメージでき、そこが本当に好きなのであれば行くべきなのだ。
下見なしでそのまま現地に行くパターンもあるが、その場合は、インターネットでいくらでも現地の雰囲気などを調べることができる。また、いろいろなツールがあるため実際に現地にいる留学生にコンタクトをとることもできる。
インスピレーションは非常に大事な部分になると私は思っている。
もちろん、行ってみて、想像してたところと全然違ったということもある。
しかし大事なのは、
行きたいと思っているところに行く。
という行為が、のちに、色々と自分の糧になっていく。
自分の決断力が磨かれ、自信に繋がり、自分に責任を持ち、自分の考え、自分の行動にに誇りを持てるようになるからと思っている。