元GAFA、気ままなゲイのモントリオール留学

カナダ高校留学 〜思わぬハプニング〜

こんにちは。

 

前回、私がカナダに留学をしたいと思った理由を述べました。

 

lgbtlifecanada.hatenablog.com

 

今回は、カナダ高校留学の父親からの反対から実際にカナダへ出発するまでについて書いてゆこうと思います。

 

  • 父からの急な反対
  • エージェンシーへの断りメール
  • 新たな反対理由
  • 高校留学志望仲間が続々と出発
  • 再度の高校留学挑戦 父親への説得の日々
  • 父親が出した条件

 

 

 父からの急な反対

 

バンクーバーにある高校を下見し、行きたい高校を見つけ、現地で付きっきりでお世話をして頂いていたエージェンシーにもその旨を伝えたが。。。

 

ここでまさかのハプニングが発生。

 

父親が急に留学に対し反対し始める。

 

そう、私の父親はいつも何かがきっかけかわからないが急に意見が変わる。

(今後のブログで父親との確執、毒親、アダルトチルドレンに繋がることを書いていこうと思います。)

 

反対し出した一つの理由。

 

その留学エージェンシーの担当者が日本人ではなかったこと。

何人ということはここでは伏せるが、そう、父はある国々の人種を嫌う人間なのである。差別、偏見。

 

そのエージェンシーの方々が日本にきたとき、新宿にあるホテルのラウンジで父を含めミーティングを行った。

その際、エージェンシーにいる偉い方も同席した。

そして父はその方が日本人ではないことに対し、気に入らない、ということで私の留学の道は閉ざされた。

 

エージェンシーへの断りメール

当時(今もであるが)、父は一切PCを扱うことができず、

父とエージェンシーとのメールのやりとりは、父が紙に書いた文を私が打ち込み送信していた。

 

そして、父が彼らに留学の断りのメールを送る際も、父が書いた文章を私が打ち込むことになった。

 

そのメールの内容は今でも覚えている。

詳しくはここには書かないが、よくこの文章を私に打たせるなと、よく差別的なメールを私に打たせるなと、よく私の留学の道が閉ざされる内容を私に打たせるなと、それはとてもとてもショックであった。そして文末には彼らへの嫌味の一行もあった。

 

その後、私は他のエージェンシーを使い、私が行きたかった高校へ行くのはどうかと父へ提案。

 

しかしそれも"NO"。

 

私は混乱でしかなかった。

 

私が留学をすることを反対するのであれば、なぜあのときわざわざ現地へ下見へ行かせたのか。

なぜ期待させるようなことをしたのか。

全く理解できなかった。

 

私はどうしても行きたい高校が現地にあった。

 

しかし父親のエージェンシーが気に食わないという理由で、私の高校留学の道は閉ざされるのであった。

 

 

新たな反対理由

そして新たな反対理由が生まれるのであった。

 

もしカナダの高校へ留学し、日本に帰りたいと思ったとき、カナダで取得した単位は日本の高校に反映することができるのか。

 

日本の学校は4月から、カナダの高校は9月から。

 

私は一貫校へ通っていたため、中学を卒業しそのままエスカレーター式で高校に進学した。

当初、父が留学に賛成していた時のプランでは、高校1年生の8月まで日本の高校で過ごし、カナダの高校へ進学する9月に日本の高校をとりあえず1年休学し、カナダへ留学するというものであった。

 

父が留学を反対することになった新たな理由はここにある。

 

日本の高校を休学し、カナダに留学したとして、もしカナダに留学をして嫌になったり何かあって帰国することになった場合、カナダで取得した単位を日本の高校に反映し、留年することなく復学ができるかということであった。

 

そこから私は当時通っていた高校の進学担当の方と話し合いを重ねる日々が始まる。

 

私の高校からは海外へ留学した人はいるものの、途中で帰ってきて現地で取得した単位をそのまま日本の単位に変換して留年することなく進学した事例がないため、先生たちもそれが可能なのかがわからなかった。

父から預かった先生への質問を先生へ話し、もらった回答を父へ説明するというイベントが発生。

それでは埒が明かないということで最終的に父親が直接、先生方と話すことになった。

 

高校留学志望仲間が続々と出発

そんなこんなしてるうちに同じ高校に通っていた同学年の友人や、英語塾で出会った同じく高校留学を志していた友人たちが続々と現地へ出発してゆく。

中にはバンクーバー へ行った友人もいた。

 

私はただただ悲しく辛い日々であった。

私は相当にそこで病んだ。

 

”本当だったら今頃あの高校に通っていたいたのに。”

”こんな思いをするのであれば留学をしたいと伝えたときに反対してくれればよかった。”

”自分は何か悪いことしたのか。”

 

そして高校1年生、8月を迎え、もうカナダへ行くことが確実に叶わなくなった。

私は高校2年生からの留学を目指すことにした。

 

 

再度の高校留学挑戦 父親への説得の日々

そこから毎日、父親を説得する日々が始まる。

 

今後述べるが、父は癇癪持ち、怒鳴る、母親が父と同じ意見にならないと怒りの矛先が母親になる。という傾向がある。

 

私はどうしてもカナダの下見をした高校に行きたかった。

 

いくら怒鳴られようが怒られようが、その気持ちは変わらなかった。

 

父親が出した条件

そしてようやく父親が折れた。

しかし出された条件がある。

 

父が選んだカナダの高校に行く。

 

ということであった。

私には現地に行って直接見て行きたいと思った高校がある。

しかし父親は、父親も私も見たこともない新たに父親が見つけたエージェンシーから紹介された高校に行くことを条件にしてきた。

しかも全く別の地域。

 

当時私は本当にわからなかった。同じ費用をかけるのになぜなのかと。

 

そう、父は、私が選んだものではなく、父が選んだものを採用したい性格なのである。

要はコントロールをしたいのである。

 

昔からそうだった。私(人)がしたいこと、欲しいものを採用するのは気に食わないというかそれを採用すると自分が負けと感じる気質がある。

そのため父自身の意見や価値観を採用するのである。

もしくは私のマインドがおかしいんじゃないかと自分の意見を思い切り述べてくる。

(そうやって自分の意見に従わせようと本人は気づかないうちにしている)

私が欲しい、したいと心から思ってるものほど。

 

でもお金を払うのは私ではない。

父親なのだ。それは事実であり、私にはどうすることもできなかった。

 

カナダに行けるだけで満足できないのか?

 

という父親からの意見であった。

 

確かにそうだなと、カナダの高校に行くことは夢であった。

カナダで下見をしたあの高校に行くことが夢であったけれども、カナダのどこかにある高校に行けるだけでいいのだと確かにその時は感じたのであった。

 

そして高校2年生の8月いよいよカナダへ旅立つのであった。

 

カナダに高校留学できたことは父親には本当に感謝している。

また、精神的にサポートしてくれた母親。

金銭的に援助してくれた祖父祖母。

カナダとの関わり、道を作ってくれたことにとても感謝している。

 

余談

いつか私の気持ちの整理がついたらこのブログは父親に見せるつもりである。

父は、ある事実が頭の中で違う事実になることがよくある。

きっとこのブログを見たらきっと父の頭で変換された内容を事実として反論してくるであろう。

 

でもここに書いてあることは確かな事実であり、鮮明に覚えている事実である。今も私を苦しませている私の人生の中で起こったトラウマの一部である。

あの多感な時期に起こった、キラキラとしていた希望を目前で閉ざされた夢。

これは事実なのである。

でもだからと言って私は誰も責めたり誰かのせいにするつもりはない。

これは私自身の心にある大きな傷を少しでも解消できたらと、この体験がずっと頭と心を支配しているこの現状を少しでも楽にするためのものである。

 

私はあの時確かに感じた、”ここで生活をしたい、ここにいると幸せである、ここで感じる空気・雰囲気は自分が生きていく環境にとても大事であるということ、この場所と自分の心はつながっている、共鳴している、この気持ちを大事にしたい、だからこの歳のうちからここで生活したい”という気持ち。

そしてあの時それができていたら今頃どうなっていたんだろうというパラレル。

その思いにずっと縛られて生きづらいと感じる思い。

 

この経験で私は不安を感じやすくなった。

順調に、そして物事が目的に進んで行った時、目前でダメになるかもしれないという思考になった。そして私は自分を責めやすくなった。

誰しもこのような経験はあるのかもしれない。

でも、どうしてもかなえたかった、それが私の生きる目的となっていたことが叶わなくなったこの体験は私を変えた。

 

そもそも私は繊細で物事に固執する性格な故にこうなのかもしれない。

でも実際、それが私なのである。

私が実際に肌で感じかなえたいと思った事実は変えられない。

それを否定されればされるほど、私は自分の心のパワーが落ち、落ち込む。

 

そして落ち込むと、その思いを持つ自分が悪いのか、変なのかと自分を責めるという負のスパイラルが始まる。

父親からしたら私の気持ちが間違っているのかもしれない、おかしいのかもしれない、理解できないのかもしれない。

でも、それに従わなければならないなんていうことは本来ないはずなのである。

自分の価値観に合わなければ人を貶したり怒鳴ったり押し付けたりするような人の心の陣地に土足で入ってくるということは本来あってはならないと思う。

 

いつかこの体験が自分の中で納得できるようになればいいなと思っている。

これまで何度も無理やり納得しようとしてきたが、できなかった。

だから傷口に塩を塗ることになるが、でも書いてみる。

これは自分の中で必要なプロセスなのである。

 

次のブログでは、現地での高校生活の始まりについて書いてゆこうと思います。

長々とそしてポジティブではないことについて書いていますが、このことは事実を書いて行きたいと思っています。

この話題以外のことはポジティブに書けるので、もう少しお付き合い頂けたら幸いです。

 

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